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ダンサー・イン・ザ・ダークにみる女性像

 

私がこの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という映画の中で注目した女性像として主人公セルマ(ビョーク)の女性像を挙げたいと思う。まずはこの映画序盤の解説からしていきたい。

チェコからアメリカにやってきたセルマは女手ひとつで息子を育てながら、工場で働いている。貧しい生活の中、セルマには先天性の疾患があり、視力が失われつつあった。息子のジーン(ブラディカ・コステイク)もまた遺伝により手術をしなければ失明してしまう運命にあったので、セルマは懸命に働き手術費用をこつこつ貯めていた。

この序盤のシーンからセルマの自らの信念を貫き、過酷な運命にありながらも愛する息子のために全てを投げ打つ女性像が見て取れる。このような女性像はジョージ・ミラー監督の『ロレンツォのオイル/命の詩』(1992)のオドーネ夫妻からも見て取ることができるが、この二つの映画の圧倒的な違いとして、それがハッピー・エンドかバッド・エンドかということである。従来の映画の中で描かれてきた女性はたとえ最初は貧しく、苦しい生活を強いられていたとしても最後には楽しい生活を過ごしたり、自分のやりたい事を見つけたり、また努力が報われるという特徴があった。このような特徴は『ロレンツォのオイル/命の詩』でも描写されている。しかし『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ではそのような描写はされて全くと言っていいほどされていない。その根拠として映画の中盤から終盤の解説をしていきたい。

映画の中盤から終盤ではセルマが息子の手術代として貯めていた金を、親切にしてくれていたはずの警察官ビル(デビット・モース)に盗まれてしまう。セルマはビルに金を返すように迫りもみ合っているうちに拳銃でビルが死んでしまう。やがてセルマは殺人犯として逮捕されてしまう。そして最後にはジーンが目の手術を無事受けることだけを願いつつ、セルマは絞首台で死んでいく。

このように愛する息子のために全てを投げ打つセルマの最後は死であり、お世辞にもハッピー・エンドとは言えない。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』という映画は私が従来の映画の中では見たことのない「報われない女性」を描写しているので、独特でとても興味が持てる映画であるの思う。

 

kobayashi

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